1998年連載スタート。岐阜出身、米国MBA・外資系コンサルタントによる窓際人生ブログ。東京のカフェ巡りや食べ歩きと趣味(時計など)の話題を中心に。
この日は、隅田川テラスを北上して、所々で花見ラン。 人形町から、浜町、両国橋。 浅草橋のJRの鉄橋から、隅田川テラスに降りて、しばし橋巡り。 蔵前橋、厩橋、駒…
ドラマ「ふてほど」が終わってしまったので、楽しみは大河ドラマだけになってしまった。藤原さんだらけだけど、プリントアウトした相関図と対比しながら見ているので...
『鉄道シリーズ』その232。都営大江戸線スタンプラリー⑥。勝どき駅は勝鬨橋と晴海トリトンのほぼ中間、清澄通りと晴海通りの交差点地下あたりにある。勝鬨橋とはかなり勇壮な名前であるが、実は日露戦争旅順陥落を記念して築地と月島の間に開設されたのが『勝鬨の渡し』である。(晴海トリトンからの眺め)当時は交通量も増えたが、一方で隅田川を通過する船舶も多く、可動橋の建築が1933年に始まった。完成は1940年であるが、橋の上には都電も通っていた。しかし、戦後は晴海通りの交通量がさらに増えたこともあり、1970年11月29日を最後に橋の開閉は行われていない。勝鬨橋の『閧』は当用漢字にないため、住居表示が行われた際に『どき』として表示した。駅名もこれに倣ってのものである。スタンプは勝鬨橋と晴海トリトンが描かれている。晴海ト...都営大江戸線スタンプラリー⑥
1998年連載スタート。岐阜出身、米国MBA・外資系コンサルタントによる窓際人生ブログ。東京のカフェ巡りや食べ歩きと趣味(時計など)の話題を中心に。
【これは、大谷は総額7億ドルの内、6800万ドルを後払いで受け取る予定とされている。これは球団のぜいたく税対策にもつながり、今回の巨額契約が今後のチームの補強方針などになるべく影響を及ぼさないようにとする、大谷側の配慮だったという。 このことでドジャースサイドとしても今後10年間、大谷を年俸200万ドルで雇えることになったが、ルール上の問題はないとはいえ、ただでさえ大谷を獲得できなかった球団…
今週も乾通り開放にて皇居を走れないので、隅田川テラスをスタートに、20キロ。先ずは、水天宮から勝鬨橋、築地へ。10時前ですが、築地場外は、さながら観光地。走る…
モヤモヤを具現化😸コックオーヴァンとブルーチーズのバーガー🍔勿論!!!バンズも焼いたよぉ〜🔥申し訳ありませんが…お酒を呑まない方のご入店をお断りさせて頂いてお…
東京は、「生き馬の目を抜く町」と父が言っていた。 大谷は、人に騙されるちうのは、今回初めてだろう。裏切った相手が、身近であればあるほど悲しいものだ。 しかも、今回は、お金だけでなく、「不法賭け事をしたという濡れ衣」までかけようとしていた。 おそろしいことだ。 一平も、違法賭け事…
先日、2人だけの夕飯に、人形町今半水天宮駅前店でお弁当を買ってきた。夫には2,000円を超える黒毛和牛の高級すき焼き弁当だが、午後6時を過ぎていたから二割...
浅草橋駅近くでランチタイム、特に店を想定していなかったため、ウロウロ。柳橋近くの佃煮屋さんに買い物をしようと駅前の信号を反対側に向かう。あまり来たことがない場所をウロウロ、釜飯屋やラーメン屋などが並んでいる中、クラシカルで間口の広いトンカツ屋さんを発見、お店に入る。中は4人席が2つ、あとはカウンター、私はカウンターの真ん中に座った。ご主人はこの道50年と言った小柄なおじいさん、お茶を入れてくれたのは奥様のようである。メニューをみるととんかつ定食、盛り合わせ定食(ヒレカツ、魚フライ、メンチカツ)、プルプル定食(豚生姜焼き風)、魚フライ定食、小海老フライ定食などが900円、ハンバーグ定食、かつ重定食が850円とリーズナブルである。今日はカツ重にしてみた。お店の奥を見ると中庭があり、石を組んだ枯山水造りとなり、...百万石〜柳橋ランチグルメ
1998年連載スタート。岐阜出身、米国MBA・外資系コンサルタントによる窓際人生ブログ。東京のカフェ巡りや食べ歩きと趣味(時計など)の話題を中心に。
この日は、デパ地下に寄って、まい泉のお弁当で一杯、二杯。王道のコロッケ、海老フライ、ミニヒレカツもいいが、この海苔弁のお楽しみは、 隅っこにいる煮卵。なぜ、こ…
今日の鯵はパチパチでイイ💓ご注文を頂いてからこのマリネ液にcatora申し訳ありませんが…お酒を呑まない方のご入店をお断りさせて頂いております。
「不適切にもほどがある」の最終回だった。すっかりまじめになった純子だが、変わったのは純子だけでなく市郎こそ令和時代の教訓からアップデートされたというわけだ...
関東三十六不動尊巡り⑥、今回は第14番札所目白不動尊をお参りした。目白不動尊の正式名称は神霊山慈眼寺金乗院で真言宗豊山派のお寺である。実は私の義両親の墓があるお寺からほど近く、お彼岸に墓参りをした後、伺った。目白不動尊と言えば江戸五不動(目黒、目白、目青、目黄、目赤)の一つである由緒あるお寺であるのだが、元々この不動尊像はこの寺にあった訳ではない。二代将軍秀忠の命により奈良の長谷寺の本尊と十一面観世音像を関口台(文京区関口)に新長谷寺を建立。さらに三代将軍家光は当山の本尊断臀不動明王に目白の名を送り、五色不動の一つとした。このため、関口周辺を『目白台』と呼ぶようになった。しかし、太平洋戦争で全焼、この金乗院に遷座することとなったのである。断臀不動明王像は弘法大師作と伝わりられ、かつては50年に一度開帳され...関東三十六不動尊巡り⑥〜目白不動尊
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